我ら、ぼにぴん人

石巻で新しいコトを始めたり、これから始めようとする人たちのスピリッツをご紹介。

2017.04.17

苦悩しながらも善いものを~桃生ポーク物語

石巻は水産の街として有名ですが、実は広大な農地にも恵まれ、

お米や野菜づくりのほか、牛や豚などの畜産業も行われています。

中でも、地元のブランドとして知る人が多い『桃生ポーク』。

今回はその生産者、遠藤公男さん(66歳)をご紹介します。

 

70年代、養豚が盛んだった石巻

石巻市の北東部、北上川と旧北上川に挟まれた肥沃な土地に広がる桃生町(ものうちょう)。

現在は水田が40%以上を占めますが、1970年代には養豚が盛んな地域でした。

農家の多くがお米などを作るかたわら、

牛や豚といった家畜を育て、食肉として販売していたのです。

日本最北のお茶『桃生茶』でも有名な桃生町

今回の主人公、遠藤公男さん(66歳)もその一人でした。

高校卒業後は石巻の鉄鋼会社に就職しましたが、

オイルショックのあおりをうけて退職。

22歳で結婚した奥さんの桃生町にある実家を継ぎ、25歳で養豚の世界に入りました。

当時、桃生町の農家はメス豚だけを所有し、種付けは専門業者に依頼するケースがほとんど。

そのほうが、オスを常時飼育しておくよりもずっと効率がよかったのです。

そこに注目した遠藤さんは、他県から最高レベルのオス豚を購入。

もう1軒、オス豚を持つ農家と一緒に、

全盛期には350~500頭もいた町中のメスに種付けをして周りました。

結果、遠藤さんは、いろいろな農家のやり方を見て勉強することができ、

うまくいっていない農家には助言するまでになりました。

すべての家のやり方を改善し、桃生町全体の養豚業を盛り上げたい。

遠藤さんは早くから、そう考えていたのです。

 

薬の使用をやめたいと思い続けて

ビタミンが豊富で栄養価が高い優秀な食材として重宝された豚肉。

海外の豚と掛け合わせる「合成豚」の開発が盛んになり、

80年代に入る頃には、新しい豚の感染症が日本でも発生することとなりました。

もともと神経質で、ストレスに弱いと言われる豚。

せっかく育てても突然、多くが死んでしまったり、

感染源として処分せざるを得なくなる危険性が高まり、

以降、養豚業の現場では薬を使った疫病対策が必須となっていったのです。

遠藤さんも15年ほどは、業界の常識に合わせやってきました。

しかし、育てた豚肉は薬のせいなのか「臭い」と言って家族が食べてくれなかったり、

仕事とはいえ自分自身も、心の中で薬を使うことにずっと抵抗がありました。

そこで40歳になった時、環境や餌を改善することで、

家族に安心して食べさせられる豚を作ろう!と決意。

これが抗生物質不使用の豚、『桃生ポーク』の始まりです。

10年かけてたどりついた理想の豚

さまざまな種類をかけあわせ、優勢遺伝だけを残していくという

品種改良には、特に時間とお金、手間がかかりました。

育てる環境と管理技術の向上も必須。

遠藤さんが思う理想の豚にたどりつくまでには、

実に10年の月日を必要としました。

薬を使わなくても免疫力が高くて丈夫、自然のままでおいしい豚肉。

味にうるさい家族も『桃生ポーク』だけは、喜んで食べてくれるようになりました。

開発に10年かかった桃生ポーク

 

特徴は、なんといってもあっさりとした脂身のおいしさ。

融点が低いため胃の中で固まりにくく、もたれず、たくさん食べられると好評。

専門機関による調査でも、一般的な豚肉に比べカルシウムがずば抜けて多く、

脂肪酸も重さを感じるリノール酸より、さらりと軽いオレイン酸の方が多いことが判明しています。

「日本人が日本人の体を思って作った、日本人のための豚肉」

遠藤さんはそう言って、胸を張りました。

この真っ白な脂身が桃生ポークの特徴。たくさん食べても胃もたれしにくい

 

 

仲間たちと共に、いざ東京へ!

その後遠藤さんは、桃生町で40~50軒あった農家に声をかけ、共に組織を設立。

農協を通した販売が主流だった中、「成功するにはまず東京から」と、自分で販路を開拓し、1999年には新宿伊勢丹での販売をスタートさせました。

当時は珍しかった生産履歴(トレーサビリティ)を公開し、新聞やテレビなど多くのメディアに取り上げられ、『桃生ポーク』は一躍「安心安全な国産豚」の先駆的存在に。

翌年には、地元、石巻で一番と言われた豪華ホテルで一周年記念パーティを開くなど、最盛期を迎えます。

しかし、東京での成功は、生産者の間に仲間割れを生じさせました。

共に生活をよくしようと手を組み、大舞台へと乗り出していきましたが、もめごとが絶えず「このまま続けたのでは逆に悪くなってしまう」と新宿伊勢丹での販売を3年間で終了。

遠藤さんは2005年に組織を解体、ひとりになって、再スタートをきることになりました。

引き継ぎたい生産者の真心

東京から宮城に販路を移し、仙台などでも販売。

地元の石巻では参入してきたばかりの大手スーパーが全面的にバックアップしてくれるなど、滑り出しは順調でした。

一般企業に勤め、夫を支え続けてきた妻もこの頃には仕事を辞め、通信や直接販売を開始。

夫は法人、妻は個人客を相手に、夫婦二人三脚で『桃生ポーク』を広めていったのです。

餌や環境に気を配る分、普通の豚肉に比べるとどうしても高額になりますが、一度食べたら違いが分かり、繰り返し注文してくれるお客さんが少なくありませんでした。

しかし、大手チェーンのスーパーなどでは、売り場の担当者が変わると注文も激減。

次第に、安くて売りやすい輸入豚などにとって変わられることが多くなっていきました。

家庭用に使いやすく加工された桃生ポーク

 

そして2011年、東日本大震災が勃発。

『桃生ポーク』の豚舎は大打撃を受け、100~200頭の子豚が死亡。

子豚が乳を飲まなくなったことで、母体に変化が起こり、多くの母豚が役に立たなくなりました。

なんとか持ち直したものの、高額な餌代や設備の老朽化は夫妻を苦しめ続け、ついに『桃生ポーク』は後継者がいないまま廃業を決意。

石巻の街中では『桃生ポーク』をメニューに取り入れ、熱心に応援してくれる飲食店も増えてきた矢先のできごとでした。

寒さや暑さにも敏感な豚をストレスなく育てるには、設備の維持にお金がかかる

桃生ポークの良さを知り、積極的に仕入れる飲食店の若い店主たちが増えつつあった

 

海、山、川、肥沃な大地にも恵まれた食材の宝庫、石巻。

努力を惜しまずおいしいものを作ってくれる生産者の姿は、この町の誇りです。

中でも、経済と安全の狭間で苦悩しながら、良いものを作り続けてくれたその心と技術は宝物。

遠藤公男さん、66歳。

次世代に引き継ぐ時間は、まだ十分にありそうです。

桃生ポークの生産者、遠藤公男さん

 

今月のぼにぴん人

遠藤公男さん(66歳)

石巻市桃生町出身。養豚業につき、40年余り。(株)北の杜を経営し、桃生ポークの生産、販売をしていたが2017年3月に廃業を決意。養豚の現場で教育者としての再スタートの道を模索している。

我ら、ぼにぴん人