我ら、ぼにぴん人

石巻で新しいコトを始めたり、これから始めようとする人たちのスピリッツをご紹介。

vol.3

2016.04.05

『自立して働き、地道に暮らすことが復興につながる』堀込亘さん

津波で家を流され、自身も被災しながら社会貢献活動に従事。

柔道整復師という国家資格を取得して、

石巻で『快笑整体院』を開業した堀込亘さん(39歳)。

その道のりは、とても過酷。

しかし「今、ようやく本当に欲しかったものが手に入り始めた」と語る。

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▲以前とは違う場所に新しく建てた実家。その一部屋を借りて、自身がオーナーの「快笑整体院」を開業した堀込亘さん(39歳).

 

【対人コンプレックスから機械の仕事へ】

小さい頃から、人付き合いが苦手という感覚があった。

機械が相手なら、と大学は工学部の機械科へ。

福島にあるダンボールのリサイクル工場に就職したが、

管理職になると毎晩、眠れないほどのプレッシャーが続き、

もう「メンタルはぼろぼろに」なっていた。

 

そんなときに出会ったのが、

漫画家・山田玲司氏が各界の著名人にインタビューする

ドキュメンタリー対談マンガ『絶望に効く薬』。

堀込さんはその中で紹介されていた、

ある環境保護団体のリーダーの言葉に感銘を受けた。

「絶望は、考え方やとらえ方ひとつでなくすことができる、

地球温暖化や戦争もなくせる、と大まじめに語り、

実際、そのために働いて、実績もあげていることに感動しました。

調べると、近々、その人のワークショップが福島であったので、

思いきって行ってみたんです」

するとそこには、「コンプレックスを抱えた自分と似たような人がたくさんいた」と堀込さん。

これが、社会貢献や非営利活動と言われる世界との出会いだった。

 

【活動にハマりながら資格を取得】

「もともと環境問題には興味があったし、

なにより、ありのままの自分を認めてくれる感じがうれしくて、

ワークショップにハマって、何度も通いました」

その間にも実生活では、勤務していた工場が倒産して失業。

故郷の石巻へ戻り、地元企業への転職を試みるも、

どこにも採用されなかった。

仕方なく、職業訓練学校へ通い、堀込さんは簿記の資格を取得。

「もう食いっぱぐれるのが嫌なので、

何か手に職をつけたいと思いました。

自己啓発のセミナーやワークショップにも積極的に通い、

自分が本当は何をしたいのかと考えた。

そこである先生に

『実は機械を相手にするより、対人の仕事の方が向いているよ』と言われ、ビックリ。

自分は無理だと思っていたので、その言葉は心に残りましたね」

小さい頃から人の輪に入れないなど、人とのコミュニケーションは苦手だと思っていた。

その反面、「対人の仕事ができたら素敵だな」と憧れていたという堀込さん。

そこで、柔道整復師という国家資格の取得を決意。

「ほねつぎ」や「接骨師」と言われるもので、

石巻の接骨院で働きながら、仙台の専門学校に3年間通うこととなった。

 

しかし、ようやくかなった接骨院への初出勤は、2011年3月5日。

東日本大震災が起こる6日前のことだった。

 

【勉強そっちのけでボランティア活動に没頭】

震災で、勤務していた接骨院も水浸しになったが、実家は地域ごと水没。

家族は全員無事だったものの、その後は親戚の家に身を寄せるなど不自由な生活が始まった。

 

それでも堀込さんは、世界中から集まってきた

NGOやNPOといった団体の活動家たちに「テンションが上がった」。

自身も被災者でありながら、憧れのNPO職員となり、支援活動に従事。

全国から届く支援物資の仕分けや被災者に仕事を創出する活動など、

震災後の2カ月間を夢中で過ごしたと言う。

震災後のボランティア活動。被災した家の修繕、掃除なども夢中で手伝った

震災後は、被災した家の修繕、掃除なども夢中で手伝った

「ボランティアや非営利活動を行う人たちが輝いて見え、震災後は自分もその一人になれたのがうれしかった」

「ボランティアや非営利活動を行う人たちが輝いて見え、震災後は自分もその一人になれたのがうれしかった」と堀込さん

 

しかし、3カ月が経つ頃、接骨院から復職要請が入った。

おおいに悩んだが、やはり仕事を優先し、堀込さんは職場に戻ることにした。

「でも、非営利活動の世界で上がりすぎたテンションが、一気にダウン。

接骨院では、お客さまを順番にベッドに案内するなど、

単純作業さえ、できなくなってしまいました。

今考えると完全に、鬱状態だったと思いますね」

結局、接骨院を3カ月で退職し、堀込さんはNPOに舞い戻った。

 

【『無償』や『支援』が、人生を狂わさせることもある】

所属したNPOは、震災後1年で活動を終了。

その後、リーダーのひとりが別の団体を立ち上げるというので、

堀込さんは誘われるがまま、手伝うことになった。

しかしふたを開けてみると、他にスタッフはおらず、資金もまったくない。

しかも、自分を誘ったリーダーは途中で抜けると言い出し、

すでに走り出した活動を堀込さんがひとりで抱え込まなければならなくなった。

「借りていたスペースの家賃など、

経費のすべてを毎月、僕が払っていかなければいけなくなってしまいました。

給料も最初からゼロ。

今から思えばおかしな話ですが、あの頃の僕は、断りきれなかったんです。

これが人生初の金銭トラブル。

憧れていた世界での出来事だったので、ダメージはとても大きかったですね」

 

その後、活動はなんとか1年で幕を引いたが、

他でも堀込さんは、非営利活動や復興支援といわれる世界の裏側を見て、

だんだん冷めていったと言う。

「たとえば、福島のある町では

そこで暮らすだけで毎月多額の補償金が住民に入りました。

それで新車を買うなどして、悠々自適に暮らす知人一家に違和感が。

また、ある医療機関では復興支援活動の名のもとに、助成金と医療費を二重どり。

被災地ではいたるところで、あふれんばかりの支援物資が使われず、

放置されている光景なども目撃して、ショックでしたね」

 

人の為になると信じていた『支援』や『無償』という行為が、

人の人生を狂わせることもある、と気がついた。

震災前は地道に働いていた人が、

無償の支援をしたり、受けることで、

元の生活に戻れなくなるケースもあるのでは、と話す。

 

【自立して働くことが街の復興につながる】

活動でのトラブルに翻弄されつつも、

通い続けた専門学校は無事、卒業。

ようやく活動を終えられた後は、

自分ひとりで整体院を開業することに決めた。

「今までは、外からもらってきたものを街の人たちに流すような感覚。

それで、自分も働いているような気になっていました。

でも本当は、人からもらうのではなく、

自分の足でしっかり立ち、自分で人生を作っていく。

それが働くことだと分かったんです。

そうして働いて、石巻で地道に暮らしていくことが、

結局は街の復興につながると思いました」

 

快笑整体院の施術ルーム

快笑整体院の施術ルーム

 

努力して手に入れた整体師という仕事。

そこで初めて、人と深く付き合えるようになったとも話す。

「あれだけ夢中になったNPOでも、

人付き合いは表面的で薄っぺらかった。

自分から距離をとるような付き合い方しかできませんでした。

でも今は、初めて1対1で人と向き合い、施術をさせてもらい、

しかも、お金をいただくという責任を負う。

その中でようやく、人と深くつながることができるようになりました。

実はこれこそ、僕が本当に欲していたもの。

小さい頃から憧れていたものが、ようやく手に入ったと感じます」

▲「神の手」と言われる整体師・鶴田昇氏の指導を受けた堀込さん。評判も上々

整体院では、精神面でぼろぼろになったこともある自身の経験を活かし、心と身体のケアを大事にしている

 

「神の手」と言われる整体師・鶴田昇氏に師事した堀込さん。その腕前はとても評判がいい

「神の手」と言われる整体師・鶴田昇氏に師事した堀込さん。その腕前はとても評判がいい

 

今月のぼにぴん人

快笑整体院 オーナー・掘込亘さん(39歳)

メニューは、つるた整体 4000円 、快笑整体 6000円ほか。出張整体も受け付けている。場所は「道の駅 上品の郷」の近く。 宮城県石巻市小船越字山畑86-11 営業時間/9:00~19:00 定休日/日曜日、木曜日 TEL:080-8216-4749

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