歴史

桃生城跡

奈良・平安時代に律令国家が東北地方に設置した施設、城柵。当時の東北地方は、まだ国家側の支配に完全には組み込まれていない「蝦夷(えみし)」とよばれる人々が暮らしており、この城柵は、蝦夷のいる東北地方への進出を目的として設けられ、軍事的機能と行政的機能をあわせもっていました。そのひとつ桃生城は、760年(天平宝字4)に完成。『続(しょく)日本紀』によると「陸奥国牡鹿郡において、大きなる河をまたぎ、たかき嶺をしのぎ、桃生柵をつくりて賊の肝胆を奪う」と記されています。しかし、14年後の774年には蝦夷の攻撃を受け、火災で焼失。その後、桃生城は再興されることがありませんでした。「海道の蝦夷、たちまちに宗徒を発して、橋をやき道をふさぎて、既に往来を絶つ。桃生城を侵してその西郭をやぶる。鎮守の兵、勢い支うるあたはず。国司事をはかる。軍をおこしてこれを討つ」(続日本紀)

この桃生城への攻撃以来、律令国家と蝦夷との対立は激しくなります。この年から、文屋綿麻呂を征夷大将軍とする811年(弘仁2)の征討までの長きにわたる争いは、東北の古代史で「三十八年戦争」とよばれることがあります。現在、桃生城跡は民家の畑、森林となっていますが、そうした古代動乱の始まりの地となった桃生城を思い起こすことは、歴史好きにはたまらない体験です。

 

DATA

住所 / 石巻市飯野中山140
アクセス / JR石巻駅から車で約30分

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